発達障碍と柔道について

発達障害と柔道について

発達障害を持つ子たちと柔道

心理セラピスト 若林宏行先生のことば

 

発達障害をもつ子どもたちは、脳の発達の仕方が通常の子どもと異なるために、不注意・多動性・衝動性、コミュニケーション・イマジネーションの発達の遅れ、特有の身体感覚や感覚の過敏・鈍麻などの特性をもち、そのために簡単な作業でも時間と労力が必要であったり、気が散りやすい、じっとしていられない、相手の気持ちがわからない、柔軟に対応できないなど、本人としては頑張っているのだけれども社会生活に必要な事が上手く出来なくなってしまっているのです。

 

また、このような特性が周りから理解されなかったり、誤解されてしまう事もあり、自己肯定感や自己効力感も低くなってしまい心の面でもつらくなってしまっている事もあります。

 

私自身は中学校の相談室等で発達障害を持つ子どもたちと関わりがありますが、この特性は一生変わらず発達しないというわけでなく、その子の特性に合った配慮をしながら、社会生活をおくる上で足りていない部分を伸ばしていけるようにみんなでサポートしていけば、何とか乗り越えるだけ成長したり、できなくても他の方法で何とかしようという前向きな気持ちが出てくる可能性があると実感しています。

 

さて、柔道というと相手を倒したり投げ飛ばすというイメージがあり、発達障害を持つ子供たちには難しいかもしれないと思うかもしれません。本来柔道は心身の力を最も有効に活用する道であるとされ、欧米諸国の研究などでは心身に病を持つ障がい者に対して柔道を応用する事で、運動療法としての効果が期待できる事がわかっています。

 

そこでこれらの研究や私自身が中学校の相談室で発達障害をもつ子どもたちと関わってきた経験から、発達障害を持つ子どもたちが柔道を行う事で期待できる効果について考えていこうと思います。

 

身体感覚のトレーニング

発達障害のある子どもたちは、五感や身体感覚(身体の傾きや加速度、筋肉や関節の動き、手足の力加減など)の感覚を連携しながら身体を動かし、適切な行動や学習を行う事が難しくなっていると言われています。それらが出来るようになるには、身体の感覚を刺激する機会を多く持つということが良いと言われていますが、柔道の技は身体の傾きや筋肉や関節の動き、手足の力の調整、などなど様々な身体感覚を駆使して身体を動かせないと技をかける事ができません。

 

つまり技の練習をしていくことが身体感覚を連携し身体を動かせるようになる訓練になると考えられます。

 

対人関係のトレーニング

技の練習は、あらかじめ定められた形の中で「投げ」と「受け」を交代しながら行っていきます。これは技をかける側(攻撃側)と技をかけられる側(攻撃を受ける側)の両方の立場を経験する事になります。

自分の気持ちを表現できない子にとっては、技の練習という形で自分の気持ちを出す練習になりますし、攻撃的な子にとっては相手の立場や気持ちを考えたり、技の練習という形で安全に自分の攻撃性を発散させる機会にもなります。

つまり技の練習を通して、自分の気持ちのコントロールや対人関係の練習にもなると考えられます。

 

自己肯定感や自己効力感を高める

自己肯定感や自己効力感を高めるには、自分を正当に評価してくれる人に支えられながら、自分でも頑張れば達成できるような小さな目標を立てて、それを一つ一つ達成していく事。そしてそれを積み重ね「自分でも出来た!」という達成感や成功感などをたくさん経験する事と言われています。

柔道の技を習得していくプロセスが先生に支えられながら、「自分でも出来た!」という達成感や成功感などをたくさん経験する機会にもなりますし、級や段が上がっていくことも眼に見える形で自分の成長が確認できますので、自己肯定感や自己効力感を高める事に繋がると思われます。

 

このように柔道は、その子の特性に合わせた配慮や工夫をしていけば発達障害の子どもたちの心身の能力を高め、その子の足りていない部分を伸ばしたり、将来それを乗り越える土台となる力をつける一つの方法として活用できる可能性が大いにあると考えられます。

 

実際に発達障害を持つ子どもたちの特性は一人ひとり本当に違うので、その子に合わせたやり方を少しずつ思考錯誤しながら探していく事になると思いますが、子どもたちと関わる事で学んだ経験は多くの子どもたちの可能性を広げることにも繋がると思いますので、坂東館長ならびに志道館の先生方にはぜひ頑張ってほしいと思います。

 

 

若林心理教育研究所 代表

心理セラピスト 若林宏行

〈若林宏行プロフィール〉

 

1970年生まれ 明星大学人文学部 心理・教育学科卒業21歳からクライアント中心療法やゲシュタルト療法のトレーニングを受ける。約10年間公立中学校、不登校の児童・生徒のグループのスタッフや、国立研究所で青年期の引きこもりグループのファシリテーターとして働き、その後はヒプノセラピーの現場で、8年間様々な相談を受けながら経験を積む。現在若林心理教育研究所を設立し成人の相談や公立中学校の相談室でも生徒たちの相談も受けている。

 

<参考>

「障害者と柔道療育の可能性」國士舘大學 武德紀要第28 号

「柔道指導による障害者への運動療法について」佐々木武人(2003)

「障害者の柔道指導に関する研究動向と課題」佐々木武人(2004)

「発達障害の子の感覚遊び・運動遊び 感覚統合をいかし、適応力を育てよう1」 講談社 健康ライブラリースペシャル

「大人の発達障害ってそういうことだったのか」宮岡等・山登紀夫(著)医学書院

 

 

「発達障害」という「特性」を持つ子供たちと『文武一道塾 志道館』

~“生きる気力”を育むために~

 

文武一道塾志道館 館長  坂東真夕子

 

 

文武一道塾志道館は、「“生きる気力”を育む道場」です。

 

では、“生きる気力”とは何か?私は“自己肯定感”であると定義しています。

 

“自己肯定感”とは恐らく、自己の相対的または絶対的な成功体験だけで成り立つものではなくなく、親からの無償の愛情はもちろんのこと、他人からの愛情・評価によって形成されていくものでしょう。

 

 

私は幼少時代、登校拒否児でした。特に小学校に入学してからは毎朝学校に行く行かないで母親と格闘していたことを覚えています。

 

泣く泣く母に連れられ学校に行ってからも泣きわめきながら柱にしがみつき、頑として教室に入ろうとはせず、そのまま家に引き返すということもしょっちゅうありました。たまに校長先生も私をなだめるのですが、それでも私が妥協することはありませんでした。

 

大人になって母から聞いた話しですが、校長先生はそんな私をとても評価してくれていたそうです。「大体の子供は私(校長先生)がなだめると、泣き止んだり言う事を聞いてくれるが、真夕子さんはそうではなかった。将来大物になりますね!」と。

普通なら「言う事を聞けない子ども」「親の躾がなってない子ども」と言われても仕方ないことだと思いますが、校長先生は私を「意志の強い子ども」という解釈(評価)をして下さったのです。

この言葉は私の両親にとっても救いの言葉だったのではないでしょうか?

 

当時は知る由もありませんでしたが、担任の先生、校長先生…たくさんの他者からの愛情がその後の私の人生に大きな影響を与えたことは容易に想像がつきます。

あの時、単なる「扱いづらい子ども」として周囲から接せられていたら、もっと違った人生になっていたかも知れません…。

 

翔和学園という発達障害児教育に特化した学園があります。その学校の校長である伊藤寛晃先生の著書「翔和学園“生きる気力を育てる”発達障害教育」(明治図書)にも次の様な一節があります。

 

『いじめを受けた学生について、「自分が傷ついた分他人に優しくできる」という人がいる。しかし、私はその逆であるという実感を強く持っている。本当の優しさは、たっぷり優しくされた人たちの中に根付く。仲間や教師から大切にされなかった学生は、どこか思いやりに欠けたところがある。また、「過剰な被害者意識」と「加害者意識の欠如」が目につくことが多い。』

 

 

次は私が愛情を注ぐ番です。

 

私は「発達障害」とは「障害」ではなく際立った「特性」の一つであると解釈しています。

 

柔道を通して自分や他人と対峙し心身を鍛え、道場という礼節や作法、規律が存在する場で社会性を身に付ける…こういったことは「特性」を持つ子どもたちにも大いに必要なことです。

 

文武一道塾志道館では、今後様々な「特性」「個性」を持った子ども達を受け入れていきたいと考えています。多種多様な人材の中で、それぞれの子どもが磨かれ、よりよい日本の未来を築いていく。

 

 

それが私の想いです。