「準備」って大切! 〜ひとりでできる!は自...
港南道場 2020年6月10日志道館 港南道場の少年部は、この春に幼年部から少年部へあがった小学一年生3名と新規入門の一年生2名、 2年生1名、合計6名...
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志道館 港南道場の少年部は、この春に幼年部から少年部へあがった小学一年生3名と新規入門の一年生2名、 2年生1名、合計6名...
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柔道と空手道。
種目は違うものの、“武道”を通した人間形成を目指している2人。
56年の歴史ある玄制流を受け継ぐ立場の土佐氏と、2013年10月文武一道塾 志道館を立ち上げた坂東が語り合った。
土佐樹誉彦(とさ きよひこ)氏
1977年3月9日 埼玉県生まれ 大阪経済法科大学卒
国際玄制流空手連盟武徳会 宗家 土佐邦彦氏を父に持ち、5才から空手をはじめる。
JKFナショナルチームメンバー時代には日本代表として数々の国内・国際大会(アジア大会、世界大会、ワールドゲームス等)を戦い、現在は国際玄制流空手道連盟 武徳会 会長。
東日本大震災復興支援Save Japan through Karate Do. SayOssプロジェクト 代表
以下、敬称略
土佐「5歳の頃に空手をはじめました。両親に勧められたのか、自分でやりたいと言ったのかは定かではありませんが。宗家(父)の背中を見ていたので自然とやり始めたのだと思います。記憶にはないのですが、6年生の卒業文集には「空手の先生になる」と書いてありました。
大学を卒業してから、指導に入りました。確か、24、5歳の時だったと思います。
32、3歳までは現役でした。その後、今は指導や組織運営に携わっています」
坂東「空手の道場に通わせる、ということは『やんちゃな子が多い』という感じですか?」
土佐「私が小さい頃は悪い先輩方も多かったです(笑)でも今はどちらかというと言うことを聞かない子だから空手を習わせよう、という感じではなく、ぴしっとさせたい、礼儀作法を身につけさせたい、厳しくして欲しい、という親御さんが圧倒的に多いです。勝ち負け、という意味での“強さ”を求める方が割合としては少ないですね」
坂東「うちの道場もそうですね。柔道の強さ云々ではなく、子どもに礼儀を身につけさせたい、とか、学習の習慣を身につけさせたい、という親御さまが多いです。」
土佐「武道だから躾をしてもらえると思われると困るのですが・・・もちろん、人としての基本的な礼儀作法はしっかり指導しますし、そこがしっかりしていなければ本当の意味での技術はついてきません。教育の根本は家庭です。一番長い時間子供達と接するのはやはり親御さんですので、良くも悪くも、 “指導者は親を越えられない”。ただお預かりした以上はその子を一人の社会人として見守り、一緒に学び育てていく責任があります。体験や見学に来られた親御さんには、必ず「叱りますし、泣かせますがそれでもよろしいですか?」と、お伝えするようにしています。またどのような考えで子供達に接しているか、どうあって欲しいかということなど、ブログを使って発信するようにしています。道場でいくら教えても、家でどうしているかで変わってしまいますので」。
坂東「そうですよね。私も道場で、細かいことを口うるさく言い続けてます。靴を揃えているか、大きな声で挨拶できているか、礼の形が乱れていないか、自分が使った後トイレのスリッパを揃えているか…でも、私が居るから、私が言うから、道場の中だから、では意味がない。外でいかに発揮できるか、が大事ですよね」
土佐「試合会場でも、例えばトイレに入った時のスリッパ・・・大人でも約7割は揃えずに出ていくのではないかと思います。私が揃えている横で、揃えようともせずバッと脱いで、知らん顔で行ってしまう大人もいる(笑)元をたどれば、その人が悪いのではなく、それを教えてもらえる環境がなかったのでそうなっている。だから「今の若い者は・・・」ではないのです。「そういう大人を育てたのは誰なのか・・・」が正しい表現だと思います。稽古でも同じことですが、子供達には『大人だからすべて正しいことをやっているとは限らない。人に言われたから、見てるから、先輩だからなどではなく、どんな時でも自分がちゃんとすれば良い。教えるときも言葉はいらない、返事、挨拶、稽古の姿勢など、自分が普段からやって見せれば良い。そうしたら自然に変わる』と伝えます。」
坂東「子どものクラスは何歳の子から通っていますか?」
土佐「下は3歳からです。当たり前ですが、泣いて親御さんから離れられない子も中には居ます。そんなときでも『どうぞ置いていって下さい』と言っています。泣いてもわめいても、置いていって頂ければ、あとはいくらでも面倒を見ます。無理やりやらせることもありませんし、意外と親御さんが居なくなるとすっきり泣き止むことのほうが多い。親御さんが下手にいらっしゃると甘えが出ます。親御さんがお子さんから離れられるかもありますね。可愛い子には旅をさせよ です。抱っこしながら教えてる時もありますよ(笑)」
坂東「空手や柔道といった武道を小さいうちから習わせる、ということは親御さんの覚悟も問われますよね。」
土佐「空手での進路相談をされた時など、親御さんには『もし許されるなら、極力外に出して下さい』とお伝えしています。昔よりも親御さんが全体的に優しいので、他人の釜の飯を食い、他人に叱られる機会を作った方がいい。それがたとえ理不尽であっても。多様性を受け入れ、処理する。その力が身に付いていないと社会生活が成り立たない。だって社会に出たら理不尽なことのほうが多いですよね(笑)。あえて自分で考え、自分で行動しなければならない環境に身を置く。多様性を許容できるように。過ぎてみれば理不尽なことを含め、自分なりに多くのことを経験出来て良かったと社会人になって常々思います。色々考えますよね。自分が同じようになるのか、それとも反面教師とするのか・・・これも結局は育ってきた環境、親御さんの信念・言葉が染みているか、解っているかで分かれると思います。
ちなみに私の場合は高校進学を機に親元を離れました。空手を辞めようと思って(笑)
宗家は人にも自分にも厳しい方です。小さい頃から基本的に話すときは敬語です。例えば帰宅した時などでも、居間に居る宗家に顔を見せ、一度きちんと止まり、気をつけをして挨拶。友達を連れて帰った時には友達も同じです。必ず顔を見せて挨拶をさせなさい、人の家に来て顔も出さず誰が家の中で遊んでいるかもわからない、そんな失礼な話は無いと常々言われていました。帰る前にももちろん挨拶。靴はそろっていなければ、友達だろうとなんだろうとまとめて外に放り出されていました。
今でこそ感謝しかありませんが、そういうこともあり、中学卒業したら、とにかく家を出たいと思っていました。ある意味、場所はどこでもよかったのです。とにかく離れたかった(笑)結局、宗家が数十年前に日本体育協会の海外派遣で知り合い懇意にさせて頂いていた陸上の先生が岩手県水沢市(現在の奥州市)にいらしたので、そこで面倒を見て頂けるとのことで、即決しました。学校を選ぶ基準は空手部が無く、共学で、かつできればそのまま大学へ進学できるところ。子供ながらに一生懸命考えたのがこれです・・・今考えると安易だなあと思います」。
坂東「うちも厳しかったですねぇ!父親が帰宅した時は、母と三つ指ついて迎えてました。悪いことをしたときは、鉄拳制裁、でしたし(笑)私自身も15歳から親元を離れて暮らしています。恩師の家に高校を卒業するまでお世話になっていました。今思うと、恩師の奥様も他人の子どもを預かるという苦労はあったとは思いますが、親以外の大人に損得勘定ない愛情を注いでいただいた、ということは自分にとって、とても大きな経験です。」
土佐「宗家は昭和34年、(公財)全日本空手道連盟の立ち上げから関わっています。そのため存じ上げている先生も多くいらっしゃいましたし、私が知らなくても向うが知っているという状態で、どこへ行っても空手をやっている以上、父の名前から逃れられないことを高校1年で悟ることとなりました・・・。本当は、高校では空手は辞めてラグビーやボクシングをやりたかった。あと音楽も好きだったのでバンドを組んでベースもやっていました。
でも、結局下宿させて頂いていた先で、フラフラしているなら空手道場があるからいったらどうだ?と・・。え~!!ですよね。半強制的な流れで水沢の糸東会・佐々木道場に通うことになりました。その道場がまた先輩方が強かった。やり始めたら競技の組手だけではなく、地稽古もありあっという間にアザだらけになりました。
思えば自分が弱いのがいけないのですが、当然顔も当てられますし、あまりにボコボコ叩かれ、蹴られるので、最初は「なんで辞めたくて岩手に来たのにこんなことしなくちゃいけないんだ」と思っていました。しかしやはりやられたらめちゃくちゃ悔しい・・・こっちは叩きたくても当たらない(笑)そうなると「くっそー、いつか絶対(先輩を)一発殴ってやる」という気持ちが湧いてきた。それからそれがモチベーションになり、その先輩方が目標となり、また空手に向かい合うきっかけとなりました。
一年後、一番の目標にしていた先輩が高校を卒業、進学のため道場を離れられました。自分の中での目標がなくなってしまったので、最初は少し気持ちの整理をしたいくらいの感覚だったのですが、なんせ年頃ですから段々と遊ぶことが楽しくなり、最初は欠席連絡もしていたのですが、段々と連絡し辛くなって、出来なくなり、結局半年くらい道場に行きませんでした。2年生からは北上の学校近くいある下宿に移ったため、下宿から駅までランニング、水沢駅から道場までランニング、帰りも同じように戻っていましたが、こちらとは違い、道場に行くのに1時間に電車が一本しかない。その一本を乗り遅れると1時間遅れることになりましたので、それを良いことに、乗り遅れてしまいましたと・・・言い訳にしていました。当たり前ですが、道場から連絡がいき、両親にバレ、また稽古に通うことになりました。当然叱られましたが、戻れるための良いきっかけを頂いたと思っています。
高校(専修大学北上高等学校)2年生の時に岩手県代表として、国体に出場しました。空手界ではどこにいっても「土佐先生の息子」と言われていて、実はそれがとても嫌だった。でも高校3年生くらいから、どうあがいても考えてもその事実は変えられないことに気が付き開き直りました。どうせなら逆に「土佐樹誉彦のお父さん」と言わせてやろう、と思う様になりました。その後は大学4年まで岩手に籍を置かせて頂き、大会に出場していました。当時はとにかく自分が強くなることにしか関心がなかったので、当時、空手が強かった西の大学の中で、ご縁を頂いた大阪経済法科大学へ進学しました。
当時は少々時代錯誤にルールを勘違いしていまして、大学の空手部は試合でも普通に人を殴って良いものと思っていましたので、そのために大学へ進学したようなものでした。それもあり、ひたすら強くなる、勝つ、ということにこだわってやってきました。離れていたせいもありますが、その頃も、今も、宗家から何か言われることはあまりなく、自分で考えて色々な判断をしてきたのではないかと思います。復興支援SayOssプロジェクトも2年間は一切話しをしていませんでした・・・・。ただ大切なことは相談しますし、適切なアドバイスを頂くこともあります。ただ、こと空手に関しては指導含め話すとよくぶつかります。親子で同じ仕事をする、また男同士というのはこういうものだと思っています。宗家を尊敬する一つの理由は、物事を冷静に考えたときに自分が間違っていると思えば私だけの話ではなく、それらを受け入れられる部分です。そして他人にも、教えているお弟子さん、子供達にも頭を下げられるということです。身近にも、悪いとわかっていても頭を下げられない大人が多くいる中で、その背中は私にとって尊敬する宗家の偉大な姿であり、こうありたいと思う指導者像、親としての姿だと思っています。まあ大体宗家のほうが正しいのですが(笑)。物事の成否の判断は自らの経験の中からしかできないので、その原点はやはり両親ですね」
選手としてご活躍された後、33歳からは指導者として研鑽を積まれる土佐氏。指導をする上で、重視していること、意識していることを聞いた。
土佐「挨拶、返事、人の話しを聞く姿勢、などのあえて「所作」と表現しますが、そこを見ています。所作という言葉は辞典で調べると「しぐさ、身のこなし」のほかに「身・口・意の3つの行いが現れること」と出ています。会ったときの挨拶が人より早く元気よく出来るか、稽古中の返事の早さは、反応の速さに繋がると思います。反応がはやい子は、結果を出す。ちゃんと話しを聞いている、そして素直であることの表れでもあります。素直でなければ返事は出ません。
何をどこまで言うか、どんな風に叱るか、教える側の【姿勢】、それから子供達は大人をよく観ていますので【覚悟・信念】も問われます。子どもとの根くらべですが、ならぬものはならぬのです・・・ですね。良いことは当然誉めますが、ならぬものは何千回でも言い続けます」。
坂東「私も日々の稽古の中で何度も何度も人の話しを聞くときは、“話している人におへそをむけて”“話している人の目をみて”と言っています。ちゃんと聞く、ということでアドバイスしたことも深まりますし、上達も早いと思いますね。幼い子どもでも聞く子は聞きますし、それなりの年齢でも聞かない子は聞かない(笑)子どもの性格や成長は一人ひとり違うので、私も土佐さんと同じで、1回言って出来なければ、10回言い聞かせる。10回言っても出来なければ、100回言い聞かせる、指導者にはそういう忍耐力が、必要なのだと思います。」
土佐「選手時代はとにかく強くなることだけを、考えていましたが、指導に入ってからは“強くさせる”ことはもちろんなのですが、“返事”“挨拶”“礼儀作法”など社会に出た時に、一社会人として自らの2本の足でしっかり立って歩ける人づくりを常に念頭において指導をしています。
小学校のうちに、空手の「か」の字もやっていない中で辞めてしまう子もいますから、限られた時間の中で、その子に関わっている間、いかにその子の将来にプラスになるような関わりができるか・・を考えています。とはいえ、本質は時代が変わってもぶれることはないので、教えることは一緒です。やはり色々な子がいます。不器用な子、手がかかる子。道場でもしょっちゅう 叱る子も当然いますが、手のかかる子は、それはそれでとてもかわいい(笑)。他の子と視点が違うのでなるほど!と思わせられるときもあります。道場という場所は、ともすると遅れをとってしまうような子供達をいかに拾い上げるか、が大切かと」
坂東「そもそも“人の成長”というのは、時間がかかりますよね。私の道場でも、比較的手のかからない子、しょっちゅう私や他の先生に叱られている子、色んな子どもがいますが、みんなそれぞ
れ個性があってかわいいですよね。みんな“可能性の塊”ですし、5年後、10年後、20年後にどんな人間になっているのか、とても興味深い。お酒が飲める歳になったら、飲みに行きたいなー、と今から思っています。」
土佐「ちょっとしたきっかけでガラッと変わるので、どこで伸びるか、どこで変わるか、我々にはまったく分からない。だからこそ根気よく向き合います。大人が子供の可能性を信じて、根気よく向き合えなければ教育は成り立ちません。 道場訓は稽古を始める時に全員で読み上げています。また、坂東さんの取り組みを頂き、実語教を取り入れました(笑)。私が小さい頃、やはり宗家がたまにですが・・・諺などを稽古の最後に話して下さっていたこともあり、その他では論語や諺、そのほか日本語の学び取り入れています。大河の流れも一滴の雫からといいます。コツコツ伝え続けることが大切だと思いますし、わずかでも沁みてくれていればそれで良いです。親御さんにも「周りと比べてうまく出来ないとか、勝てないとか、上手にならない等、今の姿、目先のことで判断しないで下さい。」とお伝えしています」。結局なにか気にするのは全て「他人との比較」ですので余計な期待は子供が可愛そうです。
坂東「私たちの哲学や姿勢が問われますよね。いい大人、世の役に立つ大人になることがゴールであり、焦らず待てるか、が問われますね」
土佐「見続ける、見せ続けること、なんだと思います。会話、返事、挨拶、所作・・・。
帯の話しでいうと、「色や段位が変わったから、歳が上だから先輩、先生ということではない。
技や立ち振る舞い、それらをまた下の子に伝えることが出来る。それらが出来るから「先輩」であり、「先生」。いかに背中で見せられるかが大切なんだ。それが出来なければ、ただ先に生まれただけだから先輩と呼ばなくいい。」と、子供達に言いながら自分に言い聞かせています(笑)
坂東「いま子ども達が出る試合は、どんなものがありますか?」
土佐「メインは年3回です。玄制流の大会、朝霞市の大会、練馬の大会です。オープン大会でしたらもっと沢山あり、多く出場する子で年に7〜10回くらいですね。小学生の全国大会もありますし、出ようと思えば年間でいくつもの試合に出ることができます」
坂東「私は、少年柔道の競技化が問題だと思っているんですね。競技性を追求するのは中学生からでの遅くないと思います。幼い頃から勝つための柔道を教えるのは、弊害の方が大きいと思います。
勝つことだけにこだわってしまうと、道場の在り方として、限界があると思いますね。なので私は、あくまでも、志道館で教える柔道は、「柔道を通して何を学ばせるか?」教育の一つとして考えている」
土佐「そうですね。勝ち負けだけに執着する、というのが問題だと思います。試合会場では、道場のカラーが色濃く出ますよ。指導者、親御さんのマナーとかも。勝つことにこだわりすぎるあまりに、野次を飛ばしたり、納得がいかないと親御さんが審判に抗議したり、目に余るものがあります」
坂東「いま、2020年のオリンピック競技として“空手”が候補にあがっていますが、そのことについては、どう思われますか」
土佐「オリンピック種目化については、一長一短ではないでしょうか。得る物も多くあるでしょうし、それにより失う物もあるでしょう。ただ、パラリンピックもそうですが、全ての競技者にとっての目標ができることは素晴らしい事だと思います。ただ、だからこそ競技だけに偏らない教育がこれからはもっと大切だと思います。」
坂東「柔道もオリンピック競技になったことで、教育的側面よりもメダルの色や数ばかりが話題になってしまいます。もちろん、オリンピック競技だからこそ、世界に広がった、というメリットもあると思います。私自身、オリンピックに出ることを目標にし、とにかく勝つということにこだわってきたからこそ学んだこともありますが、いま指導する立場になると、勝ちにこだわってきたからこそ、それだけじゃないということが分かりました。
土佐さんは競技空手と人間形成の空手、両立すると思いますか?」
土佐「はい、全く同意見です。強くなること、勝つことにこだわってやってきて、それを解っているからこそ、感じる部分は多くあります。両立できるかどうかはやはり指導者・親御さん次第ではないでしょうか。」
坂東「結果に対してどう考えるか、も大事ですしね」
土佐「私はもともと運動神経がいい方ではなかった。球技も苦手です。でもとにかく『負けたくない』という気持ちがとても強かった。海外に行っても、団体戦に出ていても、とにかく自分だけは絶対に、負けたくないという一心でした」
坂東「私もそうでした。柔道の団体戦場合、体重別で軽い方から先鋒、と決まっていました。だからいつも先鋒で。先鋒って、所謂切り込み隊長な訳ですから、今後の試合の流れを決める重要なポジションなんです。でも、私がいくらがんばって、勝ち星をあげても、結局、最後に勝った大将や代表戦で勝った先輩が全部持ってっちゃうことが多くて。なんか悔しかったですね。私だってあんなにがんばったのに、って(笑)」
流派を継承する立場にある土佐氏に、坂東が問う。
坂東「玄制流という流派を受け継ぐお立場としてのお考えをお聞きしたいです。受け継いでいきたいもの、変えたいもの、それぞれはなんですか?」
土佐「“より良き社会人を育成する”この理念は受け継ぎ、そして伝えていきたいです。
※武徳会の目的及び指導理念
本会は空手道の指導を通して健全なる心身の鍛錬と人格の陶冶、不撓不屈の精神を養成し、良き社会人を育成することを目的とする。
そして各支部の先生方や、会員など、人を大切にする部分です。
父がやって来たことと同じことは出来ません、そして父を越えることも出来ないでしょう。だからというわけではありませんが、自分以外の誰かが作った道をそのまま歩もうとは思いません。良いことは継承しつつ、むしろ私にしか出来ないこと、私だからできることも考えます。各支部の先生方もあくまでも宗家の弟子であり、私の弟子ではありません。はっきり言えば、「お前にはついていけないよ」と言われたらそれまでです。不適格であれば全然不思議なことではありませんし、考え方が合わなければ当然覚悟しています。しかしそのときは、私自身が至らなかっただけなので素直に反省し、受け入れ、より良く改善し次へ進みます。
変えたいこと、といえばまず今年(2015年)の大会は一部変えさせて頂きました。よい多くの子達がチャンスを掴めるように、喜んでもらえるように、カテゴリーを増やし、入賞チャンスを増やしました。賞状1枚だってもらえればすごく嬉しい。笑顔が増えればこちらも嬉しい。
また、統合戦という一般男子組手2階級の勝者同士の統一戦を導入しました。技あり2つの一本勝負、弱い、極めのない技はカウントしないなど、単純なポイントの取り合いではない部分で白黒をはっきり付けることにしました。
主旨は“武道回帰”です。強い空手を残したい。ただ強さも大切ですが、精神力や相手を敬する気持ちなどを重んじるルールです。
やはり空手は “身を守れてなんぼ”だと考えています。それは武力としてだけでなく、精神力としてもということです。 変えてはいけないものもありますが、どこでも観られるものをわざわざうちでやる必要もないと思っています。逆にうちの大会でしか観られないものをご覧頂きたい。それがまた会の特色にもなります。どれだけ時代が変わっても、武道的要素は残しておきたいですね」
坂東「人生をかけてかかわっていらっしゃる“空手の魅力”は何でしょうか?」
土佐「人間に関わっている、ということですね。“人づくり”すごくやりがいがあります。
いま時代に流れで子供はこう、という話しもありますが、私は今も昔も子供は変わっていない、と思います。教えれば吸収する。スポンジに水を含ませる様に、その吸収力はすごいものがあります。
その大事な時期を担わせて頂いている、預けていただいている。とてもありがたいことです。
より良き社会人として夫々の世界でリーダーシップを発揮してもらえるよう、生涯武道ですから夫々のステージでの空手への取り組み方がある。 空手は戦うほうがクローズアップされてしまっていますが、本当に大切なもの、本質は型です。いくつになっても出来る。下半身の衰えも解消できる。年令がいけばいくほど万能な武道だと思っています。だからずっとされている方は年齢不詳な方が多いのは本当です。関係が続く限り一生関わっていくつもりです。
また、武道という面でいうと、空手は相手との戦いではなく、相手に向き合っているようで、実は自分と向き合っている。
勝負の前に、まずは自分に勝つ(克つ)。限界を知り、今の自分の無力さを、身をもって解し、素直に向き合いそれを越える。すると自分の能力が上がる。そこを識って欲しいし、育てたい。自分が弱い存在であること、一人では何も出来ない存在であることを知ることが大切だと思います。」
坂東「“自分の思い通りにならない”、というのは子どもにとっていい経験になりますよね。
トレーニングって、いくらでも手を抜けますよね。だからこう言います「さぼっても、手を抜いてもいいよ。でも自分にかえってくるからね、克己心が大切なんだよ」って。」
土佐「大きな目標を達成する一番の近道は、どんなことでも良いので小さい目標を立て、ひとつひとつクリアしていくことだと思います」
坂東「目標達成までのプロセスが大切」
土佐「結果ではなく、それに対してどれだけ頑張れたか。そこを親御さんにも見て欲しいと思う。努力した分、身体は忘れませんし、結果はあとからついてきます。」
坂東「器用な子ほど、すぐにできてしまうので雑になりがち。形も崩れがちです。」
土佐「器用な子は運動神経でやれちゃう。でも不器用な子は努力しなければできない。その分、努力の仕方が身に付くことになる。スポーツに武道はかねられないが武道はスポーツを兼ねることができる。そこが武道の強みです。人を育てるということは国の未来を変えることにつながります。どの職業も尊いですが、これほど自分のしていることに楽しみと誇りをもてる仕事も少ないと思います。楽しくて仕方ないです。それらを肝に銘じ、自分を戒めて、空手を通した“人づくり“を続けていきたいと思います」
坂東「私も柔道を通して、子供達の“生きる気力”を育み、そして、志道館五訓にも掲げている通り、「世の役に立つ人」を輩出していきたいと思います。今日はお忙しい中をありがとうございました。」
土佐「(坂東さんは)強い信念で柔道場を一から立ち上げられた、しかも同年代。生半可内気持ちではとてもできない。すごく刺激を頂いていますし、心から尊敬します。ご縁を頂けたことにあらためて感謝申し上げます。今後共宜しくお願い致します。ありがとうございました。」
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